パチンコが好きで酒豪の愛すべき女芸人、椿鬼奴さん。
そんな、現在の姿からは想像すらできない”華麗なる経歴”が鬼奴さんにはあります。
桐蔭学園中学校・高等学校に入学し、弓道部に所属。
高校1年のときは神奈川県大会で優勝するなど各種大会で優秀な成績を収めていました。
ですが、学業のほうはサッパリで、中高一貫の名門校に入ったにもかかわらず、6年間は全く勉強せず、大学受験では中学1年で習う基礎が全然わからない状態だったそうで、be動詞も分からず、大学受験では20校以上失敗しました。
ですが、両親からは大学だけは行ってほしいと懇願され、予備校に通い、一浪の末に清泉女子大学に進学しました。
大学入学後には、be動詞も分からなかった鬼奴さんですが、なぜかアメリカ・ロサンゼルスにホームステイした経験があり、ヘヴィメタルを中心とした洋楽を好むようになったりしています。
そんな、経済的には何不自由ない生活を10代の頃は送っていました。
しかし、時代が鬼奴さんを最初のどん底に突き落としました。
バブルを機に両親が自宅マンションを売却し、別居。20才にして貧困生活に転落してしまいました。
大学卒業後は友人の紹介で営業事務の仕事を始めました。
しかし、給料はほぼ飲み代で消えてしまう日々でした。
「月給は20万円くらいでしたが、飲み代だけで8万〜10万円ほど使っていましたね。この頃に吉本興業の養成所に入ったのですが、”芸人になりたい!”というよりは習い事の感覚でした。もともと目立つことは嫌いなんです。習い事を始めれば居酒屋に行く時間も減り、飲み代の節約になるだろうという考えからの入学でした。」
26才で養成所を卒業して、『金星ゴールドスターズ』というコンビを結成しましたが、長らく仕事に恵まれない時代が続いていました。
「イベントに月一回出演している程度でした。芸人のギャラだけでは生活できませんから、並行して飲食店と運送会社でのバイトも。その後、コンビは解散してピンになったのですが、ネタを作ることもできず、さらに出演の機会から遠ざかってしまいました。」
9〜17時でテレアポのバイトをしながら、深夜から朝にかけて先輩の舞台を手伝うハードな日々。しかも、当時の彼氏から教えてもらったパチンコに目覚め、給料はすべてつぎ込んでしまい、貯金はゼロどころかキャッシングを繰り返し、クレジットカード会社から”カード返納”勧告が届いたことも。
そんな時、先輩芸人から声を掛けられ、吉本の芸人で構成される5人組ユニット『キュートン』に参加。
人前で目立つようにと、それまでの本名から芸名を”椿鬼奴”に改名しました。
「覚悟を決めないと芸人の仕事はなくなると腹をくくりました。そうしたら人が縁を呼んでくれて仕事の場が広がっていった。貯金ゼロでパチンコをしていた日々がなつかしくもありますが、ほどほどに楽しめるようになったかな(笑)」
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