巨人と宝塚が大好きな成駒屋・歌舞伎役者・四代目・中村橋之助!家族構成、身長、年齢は?

目次

プロフィール

プロフィール概要

  • 生年月日:1995年12月26日(山羊座) 生まれの29歳
  • 出身地:東京都  
  • 屋号:成駒屋(なりこまや)  
  • 父:中村 芝翫(八代目)/祖父:七代目 中村 芝翫  
  • 初舞台:2000年9月、歌舞伎座「五世中村歌右衛門六十年祭」にて『京鹿子娘道成寺』の所化と『菊晴勢若駒』の春駒の童で初舞台。あわせて「初代 中村 国生(なかむら くにお)」を名乗る。  
  • 襲名:2016年10・11月、歌舞伎座「芸術祭十月大歌舞伎」にて四代目 中村 橋之助を襲名。  
  • 身長:174cm、血液型:O型/A型 ※資料により異なります。  
  • 趣味・特技:ゴルフ、野球観戦(巨人ファン)、ミュージカル・宝塚鑑賞など。  
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歌舞伎界における歩みと特色

若くして歌舞伎界の名門「成駒屋」一門に生まれ、父・芝翫のもとで幼年期から舞台に馴染んできた橋之助氏。

初舞台から順調にキャリアを重ね、襲名を機に「立役(たてやく)」としての活躍が一気に注目されました。  

特に襲名披露興行では多くの大役を務め、

「およそ二年にわたる襲名披露興行では、それまでとはまったくレベルの違う大役を勤めさせていただきました」  

という言葉にあるように、短期間で大きく飛躍しています。

また、「女方(おんながた)」での名手が多い成駒屋にあって、橋之助氏自身は「立役(男役)」を志しており、父の演技を間近に見て育ったことからその道を選んだという背景があります。  

演技の傾向としては、癖の少ない真っ直ぐな立ち姿、端正な顔立ち、そして荒事(あらごと=荒々しい役)から敵役・立役まで幅を広げる器用さが特徴。

中堅の若手歌舞伎俳優として、これからの成長が非常に期待されています。  

主な演目・舞台ハイライト

  • 初舞台(2000年9月)『京鹿子娘道成寺』『菊晴勢若駒』(童名:初代 中村 国生)  
  • 襲名披露(2016年10・11月)『一谷嫩軍記 熊谷陣屋』の堤軍次など多数大役を勤めた。  
  • 最近では、舞踊劇『紅翫』をはじめ、歌舞伎伝統の技を丁寧に受け継ぎながら、新たな挑戦へも意欲を見せています。  

家族構成

まず、橋之助氏が属する一家の構成を整理します。

  • 父:中村 芝翫(八代目/屋号 成駒屋) … 歌舞伎俳優、橋之助の父にあたる。  
  • 母:三田 寛子 … 女優・タレントとしても活躍、1991年に芝翫氏と結婚。  
  • 長男(本人):中村 橋之助(四代目中村橋之助) … 1995年12月26日生まれ、屋号 成駒屋。  
  • 次男:中村 福之助(襲名:三代目中村福之助) … 生まれは1997年。  
  • 三男:中村 歌之助(襲名:四代目中村歌之助) … 生まれは2001年。  

このように、歌舞伎の名門「成駒屋」の裔として、橋之助氏自身を含め三兄弟すべてが歌舞伎俳優という家族構成になっています。

また、2016年10・11月、橋之助氏が父・芝翫氏の名跡「中村芝翫」を襲名するとともに、長男・次男・三男のそれぞれの名跡襲名も発表されました。  

家族とのエピソード

①「久々の家族5人で外食」

母・三田寛子さんのインスタグラム投稿によれば、2024年11月19日、家族5人(父・芝翫氏、母・三田さん、長男・橋之助、次男・福之助、三男・歌之助)で「久しぶりに夜遅くまでおしゃべりが止まりませんでした」と外食を楽しんだというエピソードがあります。  

この投稿では次男・福之助氏の27歳の誕生日会が兼ねられており、家族の仲睦まじい雰囲気が伝わる“歌舞伎一家の日常”が感じられます。

②「幼少期からの“成駒屋三兄弟”ショット」

2024年1月、三田さんがインスタで幼少期の三兄弟の写真を公開し「仲の良さが分かる」と話題になりました。  

このエピソードが示すのは、舞台という厳しい環境に育ちつつも、家族内での“兄弟の絆”がしっかりと育まれてきたという点です。

歌舞伎界という特殊な世界でありながら、幼少期には普通の兄弟として遊んでいた様子も垣間見え、読者の親近感を誘いやすいエピソードです。

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③「襲名発表時の親子4人並び」

2015年9月に、橋之助氏が八代目中村芝翫を襲名し、同時に長男・中村国生(=橋之助氏)、次男・中村宗生(=福之助氏)、三男・中村宜生(=歌之助氏)の襲名発表がなされた時の記者会見で、橋之助氏は「親子4人で襲名させていただけますこと、本当にありがたく…」と感謝を述べています。  

この瞬間、家族が世代を超えて承継する歌舞伎の伝統と使命を改めて感じさせる感動的な場面と言えます。

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④「母・三田さんによる家族の想い出」

三田さんは、義兄にあたる 中村 勘三郎 さん(十八代目)のお祝いの際、黒留袖を「甥っ子姪っ子姪っ子甥っ子と四回袖を通しました」と語っています。  

“幼少期の苦労”“舞台裏のトホホ”といった人間味あふれる“面白エピソード”

①「朝からご飯5合!!大食い兄弟の歌舞伎一家」

橋之助さんが出演した番組で明かされた、幼少期からの“超ハード稽古+大食い”エピソード。

  • 「子どもの頃、踊り・三味線・鳴物などの習い事があって、さらに僕は野球が大好きだったんですが、『野球に行くならお稽古も全部行きなさいよ』と言われていて」 と振り返っています。  
  • それだけでもハードなのに、さらに「僕、めちゃめちゃおデブで…」「うちは食べる量が異常で、僕と次男の福之助(弟)が大食いなんです。2人用のデカ炊飯器があって、朝から5合食べていました」 という告白で、スタジオが大笑いに。  
  • しかも、「幼少期の大事な子供役をやるには“かわいそうな子ども役”が求められたんですが、太りすぎてそれができなくて…子どもの頃の大事な役は全部弟がやっていた」という意外な裏事情も。  
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②「母・三田 寛子の“休ませてもらえなかった”スパルタ育成」

橋之助さんの語る、母・三田さんの育成ぶりは“厳しさの伝説”としても語られています。

  • 「何があっても(稽古を)休ませてもらえなかった」という言葉。子ども時代から休みはご法度。  
  • 水泳、体操、野球、ゴルフ、歌舞伎の稽古と“掛け持ち”しており、幼少期からかなり多忙だった様子。  
  • このような“休まない育成”の背景には、名門として裏も表も見せずに背負わなければという責任感があったのかもしれません。

③「舞台小道具で“竹+升”!?自作感あふれる拵え(こしらえ)に愛着」

《少しマニアック&面白め》なエピソードですが、歌舞伎ファン以外にも響く“舞台裏のひとコマ”です。

  • 出演作《紅翫(べにかん)》で、橋之助さんが語ったところによると、舞台上の小道具に「三味線に見えるが、竿は青竹/胴は一升枡に紙を貼ったもの」という“お手製感あふれる設定”があったとのこと。  
  • また「目鬘(めかつら)も、きっと紅翫さんの手描きという設定です。ごはん粒とかを使って貼っていたのかな、なんて想像をしてしまいます(笑)」という発言もあり、橋之助さん自身も“舞台道具を見て想像”して楽しんでいる姿勢が印象的。  
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様々なインタビューを通じての内面にある性格

1. 真摯でストイックな姿勢

まず、橋之助さんが“役者として”非常に真剣に舞台と向き合っていることが、インタビューの語り口からはっきり読み取れます。

  • 「僕は、持ってない役者なんだ……」と、自らを省みて悩んだ時期があったそうです。舞台・公演が中止になったコロナ禍で「自分は役者として“持っていない”のではないか」とまで思ったと語っています。 
  • そんな自分を変えるきっかけになった先輩・坂東玉三郎さんからの言葉が、“努力”に向き直る転機になったとのこと。 
  • また、「舞台と映像、根本の部分に違いはない」という言葉を語り、ジャンルを超えた表現への意識が高いことも。 

これらから、「自分に厳しい」「努力を怠らない」「伝統の枠をきちんと捉えながらも拡げたい」という三つの軸が見えます。

2. 誠実さと謙虚さ/家業・伝統への自覚

歌舞伎界の後継者としての立場・責任を意識している言葉も、インタビューにはたくさんあります。

  • 「ぼくは歌舞伎が大好きな子どもでした。…普段は遊んでくれる人たちが、舞台に立つとすごくかっこよくて…」という幼少期の回想。これは“伝統を憧れ”として受け止めてきた軌跡です。 
  • さらに、座頭(演目を取り仕切る立場)としてのコメントで、「この7人で…同じ方向を向いて走り抜いていきたい」「先輩から託されたバトンをもっと重いものにできるように」などと語っています。 
  • このように、華やかに見える裏に「自分が担うべきものがある」という意識が常にあります。

つまり、「伝統家業を継ぐ」という立場を自覚しつつも、そこに甘えるのではなく“自分の言葉・自分の姿勢”で表現しようという謙虚さが、彼の性格を語るキーワードと言えそうです。

3. 柔軟性と挑戦心

“名門歌舞伎役者”という枠を超えて、映像・新作・異ジャンルへの挑戦も語っています。

  • 初主演映画 シンペイ 歌こそすべて にて、“18歳から亡くなる65歳まで”という幅広い人生を演じることについて、「舞台と映像・根本の部分に違いはない」と語る姿勢。 
  • 歌舞伎以外の舞台・テレビ出演経験もあり、固定された型にとどまらない“広がり”を持っています。
  • また、自身の幼少期の「大食い」「動けるデブ時代」という自虐的なエピソードもきちんと話せるところに、“自分を開示する”柔らかさも見えます。 

このように、「伝統を背負いながらも、現代・多様な表現と出会おうとする」「型を破らずに型の中で新たな挑戦をする」という二面性が、彼の人物像をより立体的にします。

4. チーム志向とリーダーシップ

最後に、橋之助さんが“個人”ではなく“集団”・“公演”という枠を重視していることも印象的です。

  • 座頭として、「僕一人ではなく7人全員が座頭のつもりで…」という言葉を選んでいます。 
  • また、「稽古・本番・道具・スタッフ・先輩・後輩…」といった“舞台を作る側”の様々な要素に目を向けている様子がインタビュー各所にあります。
  • つまり、自分を中心に据えるのではなく、場・他者・作品を中心に据える姿勢が“リーダー”としての資質を感じさせます。

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